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松山家庭裁判所 昭和35年(家)230号 審判 1960年3月29日

申立人 平田一雄(仮名)

主文

本件申立を棄却する。

理由

本件申立の要旨は、「申立人の父母は、離婚によりその氏を異にするに至つたので、申立人は、その以後正式には母方の氏「平田」を称しているが、今でも勤務先(○○人絹株式会社○○工場)では旧氏の「大山」で呼ばれているし、また、この程やはり「平田」という母方のいとこと婚姻することになつたが、婚姻後「平田」の氏を称しなければならないとすると、従来の通称とは異なるわけであるから、養子になつたように世間から見られるおそれがあり、不本意なので、この際正式に父の氏「大山」を称することの許可を求める次第である。」というにあつて、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

記録によれば、

(1)  申立人は、旧戸主大山定一とその妻保子とを父母として、昭和一〇年八月○○日出生したので、以来「大山」の氏を称して来たのであるが、昭和三一年三月○○日、父母が協議離婚し、母保子が婚姻前の氏「平田」を称するに至つた関係上、申立人と氏を異にすることとなり、申立人は当裁判所の許可を得て(昭和三四年(家)第六八二号事件)、昭和三四年九月一八日戸籍吏に母の氏「平田」を称する届出をなしたこと。

(2)  申立人の父母が正式に協議離婚したのは、上述のとおり昭和三一年三月○○日であるが、実際には、昭和二一年頃から別居しており、申立人は、それ以来もつぱら母の手で育てられ、今なおこれと同居しているのであつて、現在父がどこにいるかすら知らない状態であること。

(3)  申立人は、未だ「大山」の氏を称していた昭和三四年四月○日、○○人絹株式会社に就職し、今日に至つていること。

が認められる。

そこで、以上認定事実によれば、申立人が久しく同居している母と同じ氏「平田」を称しているのは、もつとも実情に則した自然な姿であると思われ、これをことさら血が結がつているだけで実際の生活では無縁の存在にとどまつている父の氏「大山」に変更することは、格別必要であるとも、合理的であるとも考えられない。

申立人は、その氏が現在の「平田」に変つた後においても、勤務先では旧氏の「大山」が通用しているというが、同様のことは、婚姻、養子縁組等により氏の変更を見た場合にあつても、これが周知徹底されない時期において当然生ずる世上枚挙にいとまのない現象であつて、しかも、やがて時が経過するにつれ漸次解消する事柄である点を考えるならば、かかる事実を捉え来たつて、旧氏に復帰したい事由とするのは、もとより採るに足らぬ主張といわねばならない。いわんや、申立人が、自己の意思により氏を変更しながら、その後せいぜい六箇月余しか経過しない時期において、新しい氏が一般に通用しないから旧氏に復したいというのは、甚だしく恣意的な筋の通らない議論と評すべきである。

なお、申立人は、近くやはり「平田」という母方のいとこと婚姻する予定のところ、婚姻後「平田」の氏を称しなければならないとすれば、従来の通称とは異なるから、養子になつたように世間から見られて、不本意であると主張する。そして、なるほど申立人においてそのような婚姻の予定があるとすれば、その懸念するような一般の誤解が現実化する可能性は、これを全く否定し去ることはできないのであるが、かかる主張ないし一般の誤解の根底には、旧制度下の家と同じ社会単位が氏の呼称を伴つて現在なお実在するものであるとの前提に立脚し、婚姻に際し氏を改める夫は、妻の親と養子縁組をする者に限られるところ、他家に養子に行つた者は、養家先で頭のあがらないのが常であるから、多くの男子において本懐とするところではないとする観念が、多かれ少かれひそんでいることを否定し得ない。しかしながら、かつての家は、法律制度としてもはや現存せず、社会単位としてその存在を強いて想定するのも、有害無益であること、氏は、家の呼称ではなく個人の呼称の一にすぎないこと、夫婦はすべて婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称するのであつて、婚姻による氏の変更は、民法第七六九条所定の事項以外に実質的な法律上の効果を婚姻当事者に及ぼすものでないこと、したがつて、婚姻による氏の変更を夫の養子縁組又は妻のいわゆる嫁入りと必然的に結び付けて考えるのは、誤りであり、また、婚姻の際に氏を改めた夫又は妻が、その配偶者に対し下位に立たねばならぬいわれもないこと、両性の平等は、憲法及び民法を貫く大精神であるから、男子だけが単に男子たるの故をもつて婚姻に際し氏を改めることを嫌悪するのは、筋が通らないこと、それにもかかわらず、わが国の現状では、旧来の因襲に基く堕性からして、圧倒的多数の夫婦が婚姻後夫の氏を称しているが、その合理的根拠を強いて求めるならば、多くの夫婦にあつては夫の方が比較的外部との接触が多い社会的地位ないし職業にあるという、相対的な点以外にはないこと、といつた事情を考えるならば上述した申立人の懸念ないし一般の誤解の根底にある観念が、早急に払拭されねばならぬ旧家族制度的思想であることは明らかである。そして、かかる旧来の誤つた観念が、なお世上一般を支配している現実は、これをにわかに否定しがたいにしても、かかる観念に立脚した世間の誤解を懸念して、自己の氏を変更したいとする申立人の心情には、さして同情を寄せることができない。けだし、かかる場合における家庭裁判所の現実妥協的態度は、時代錯誤的な旧来の因襲と思想を温存することに通ずるからである。

以上詳述した次第で、本件の子の氏の変更許可の申立は、客観的に首肯すべき合理的根拠を欠くものであるといわねばならない。よつて、これを棄却することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 戸根住夫)

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